北海道 鉄道廃線跡を歩く
JTBパブリッシング刊行 新 鉄道廃線跡を歩く 1 北海道・北東北編 (1800円) 買いました。前回に続く、最新版という事で、待望の北海道の鉄道廃線巡りが楽しめます。
北海道、旭川は母方の実家で、出生は旭川赤十字病院、そして、会社員時代に旭川転勤で約3年の在北を経験しました。北海道大好き度数はかなりです。
鉄道マニアというところまではまだまだですが、北海道の鉄道だけはこだわります。旭川は幼少から馴染みのある町で、そこに鉄道へ興味が湧く場所が多くありました。30年前は近文、忠和、末広、教育大の辺りに廃線線路が放置というか、街の中に途切れ途切れ残されたり、畑の中に線路が残されたりとか、枕木と線路の廃線線路を見つけて廻るのを記憶してます。後に、廃止私鉄か製紙パルプ工場の木材引き込み線?の線路の残骸らしい事が判りました。自転車で、雑草の生えた線路と枕木の間を突っ走る事が出来た楽しい思い出です。
そして、旭川のサイクリングロード、これが北海道の鉄道廃線を好きになる、きっかけでした。今は無き?ウエスタンのある石狩川土手沿いから、近文に入り、函館本線の旧線を走り、昔のままの煉瓦トンネルや廃駅プラットホーム、ガーター橋、神居古潭駅舎、SLの展示など、今も現存している、約16Kmぐらいの自転車専用サイクリングロードです。こちらの本で、伊納駅の待合室代わりの車掌車(落書が残念)が現存で安心しました。サイクリングしながら、石狩川の景観、線路跡の名残り、函館本線の列車が走りぬける風景、神居古潭の風景、全てが魅力的な北海道ならではのスポットです。
私の旭川転勤時代に、老朽化で通行が禁止された区間やトンネルがありましたが、現在は補強がされ、通行がOKになってます。
旭川駅弁のわっぱ飯とガラナコーラ、リボン・ナポリンを持って、さらに北キツネが出てくる場所があり、餌やり用(本来はダメ)にカステラのにちりんを持って、当時はウォークマンを聞きながら、サイクリングです。神居古潭の吊橋を渡ると、お土産屋が2軒あり、ゆでとうきびとウエシマ・ユーコーヒーを買うのも常でした。店のおばさんが教えてくれましたが、道内産のとうもろこしは仕入れが高くつくから、それなりの値段に、一方、内地産のとうもろこしは仕入れが安いから安く出しているよ、なんて聞いて、びっくり、当然、中高生ぐらいまでは安い方ばかりでいきました。25年前で150円でしたから、安いです。今、とうもろこしまで中国産が浸食していたら、調べようがないがそれも悲しいです。とうきびを祖父は「昔は馬の餌だ」なんて言っていた(でも食べる)記憶があります。
伊納駅で休憩、春志内の休憩所で弁当、神居古潭で休憩のパターンを旭川に行く都度に楽しんでました。東京では、こんなに自然や鉄道に囲まれて、安全に自転車で走れる場所はないですから、北海道の鉄道廃線巡りが大好きになってます。
又、旭川転勤時代で会社の人達にこのサイクリングロードの話をすると、大抵、あまりイイ話はされませんでした。明治時代の政治犯収監の囚人達が鉄道敷設に犠牲になってるからとか、トンネル建設の犠牲慰霊碑だとか、神居古潭は霊場だとか、恐怖の話が色々です。地元にしてみれば、自然は日常だから、あまり感動まではいかないのかもしれません。振り返ると、混んでいた記憶は全くないです。なので、誰も一緒にサイクリングしてもらえなかったのです。灯台元暗しでしょうか。あと、キタキツネには絶対に触れてはダメともきつく言われました。(気軽に餌をやるものではないです)
芦別、赤平、歌志内、滝川、深川、沼田、留萌、幌加内、羽幌地区を営業担当していたので、各地の廃線鉄道の現在の状況が判り、こちらの本は大変、楽しめました。深名線の廃止時期に内地に帰還しました。
所属会社の経営不振からくる配置転換(新入社員抑制、バブル崩壊序曲)で、待望の花形事業部へ異動、そして北海道転勤が決まった時、都会を離れる寂しさはありました。しかし、この旭川サイクリングロードや4駆(テラノ)での全道・鉄道廃線巡り、お決まりのスキー・スノボを楽しめるとの思いで、20代の後半を過ごせました。
現実は1年の半分が雪、しかも氷点下での日常生活は想像を遥かに超えておりました。でも、やっぱり、北海道が大好きです。
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