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2010年11月に作成された記事

2010年11月30日 (火)

旧・陸軍登戸研究所 風船爆弾&鴈札の製造 In生田

生田
生田
生田
生田
生田
数十年前に通学していた学校内に「旧陸軍登戸研究所」が存在していた事は知っていたけど、当時はその詳細を知る由も無く数十年~改めて、現在、本年開設の資料館を訪れてからの衝撃により、引き続いて記述します。

思想や賛美卑下など一切関係なく、自分達がまさに使用していた校舎や校内で、こういう歴史的事実があった事を自分の日記用に記述する為だけです。

幕末歴史ファンなので歴史全般には大変興味があり、戦跡や戦跡にも関心を持っています。戦争に関しては、古典的内容の愛読書ですが「クラウゼヴィッツの戦争論」から「防御こそ最大の攻撃」には感銘し、ある程度のミリタリーバランス保持力は必要かなと思っています。

旧陸軍登戸研究所、正式名称:第九陸軍技術研究所の歴史についての詳細はあえて記述しませんが、端的に説明すると、昭和12年から開設された旧陸軍の特殊な秘密戦(諜報・防諜・謀略等)の為の兵器や資材を研究開発した機関という事になります。

そこでの開発研究は、国際法規上に問題を有する暗部や人道的側面配慮の観点から、日中戦争から太平洋戦争の歴史の学校教育や一般的な報道・記事などに於いて取り上げられる事も少なく、ほとんどは知られていません。

研究所は、大まかに、第一科:電波兵器や風船爆弾などの物理学利用の兵器開発、第ニ科:生物化学兵器やスパイ用具の開発、第三科:鴈札などの経済謀略活動、に分類されています。

最初の写真は、第一科開発「風船爆弾」(正式名:ふ号兵器)の模型(資料館パンフより写メ)です。

風船爆弾と聞いての第一印象は、「よくそんなオモチャみたいな兵器で・・・・」とか、「コンニャクを使用した」とか、「やっぱり失敗じゃないか」と卑下するような見方がほとんどか?と想像します。普通に風船爆弾と言えば~小学校で流行った水玉風船でのイタズラとかを思わず連想してしまいます。しかし、私は初めて知りましたが、実はとても高度な技術力の集大成と兵器利用としての攻撃有効性を知り、驚愕しました。

技術的には、気球を飛ばす気象知識~偏西風・高度維持の気候・気温対策、爆弾投下と投下後の自動自爆装置など、当時の知識人・技術者を招集しての最高技術レベルの結束の元で生み出された兵器であります。登戸研究所への予算割り当てが無い~つまり、好きなだけ予算を使用して良いという特例が与えられており、秘密理に全国から錚々たる技術者が集められた、大変レベルの高い国家プロジェクトであったと見えてきました。

風船爆弾の米国本土への到達・着弾率は、まだまだ不明瞭かな数値?ですが、10%以上だったらしいと推測されてます。なんだ10%、10発で1発程度・・・・ですが、日本からの米国への距離、風船という気象の特殊条件、当時の各種技術力レベル、諸々条件を考えても、到達出来ている事は、かなりの精度と思います。米国軍部では風船爆弾に対して、その特殊性から報道規制を引き、米国国内でも内密処理された事を考えると、二律背反、脅威の存在として捉えたと判ります。少数ながら、風船爆弾による被害の記録が残されています。しかし、なぜ?風船ぐらいで、米国軍部がそんなに過敏になるのか、その歴然たる理由が他にありました。

これで風船爆弾の話が終わりではなく、これからが驚愕の史実と知りました。

風船爆弾はアメリカ本土到着後に自動的に焼夷爆弾が投下されます。何処に落ちてくるか判らない兵器としての恐怖はありますが、アメリカが最も恐れた理由は、落ちてくるのが爆弾ではなく、生物兵器・細菌爆弾の可能性が実現的になったからでした。

第ニ科では、風船爆弾に搭載する生物兵器(牛疫ウィルス)の開発に成功していました。この開発の情報が米国を不安に陥れた要因です。

宮崎牛の口蹄疫騒動でウィルス感染恐怖をNEWSで見ていたので、伝染疫病の恐ろしさは判ります。研究所での牛疫ウィルス開発の意図する処には、家畜牛を感染させる事で牛肉の食料確保を断絶する狙いがあるのです。このウィルスで人的な殺傷被害はないですが、あの宮崎県騒動を見ても、家畜とはいえ、人間にも相当の精神的ダメージ被害の誘発を図り知れません。そこで、牛肉を主に食す米国人には、とてつもない事態や騒動を引き起こし、パニックを誘発~国内撹乱~戦争どころではない~国力ダウン~そのスキに攻撃を意図した計画があったのです。

最終的に国際条約観点からの世界批判もあり、旧陸軍はそのウィルス使用を見送ったそうですが、大戦末期の切羽詰まった旧陸軍がそれを発動しかねない事態を懸念して、米国知識人内で情報精査、終戦を急ぐ為に小さいボーイの投・下理由?とも、ちょっと考え過ぎてしまいました。 

一方現在、当時の風船爆弾の開発での技術の一部が、ハイブリッド車の燃料電池のカバー部の製品開発に利用され役立っているそうです。電子レンジ、携帯電話などにも、この研究所での開発技術を元にした部品開発もあるので、意外な側面も知りました。日本の技術が、便利になっていく日常生活用品の開発に役立つ事は喜ばしいですが、この様な関わりまでに繋がりがあるというのも複雑な気持ちです。

2枚目からの写真は、第三科:鴈札の工場建物です。

長期化してきた日中戦争の打開策の一つとして、経済的な国内撹乱を狙う謀略作戦に法幣偽札を製造・流布していました。戦線の拡大・泥沼化しつつある戦いを、銃や大砲などの暴力でのいたずらな消耗作戦を避け、経済混乱などで国家を揺るがせ、弱らせる謀略作戦を実施してましたが、思ったほどの効果はなかったそうです。

3枚目からの写真、第三科:鴈札製造が行われた工場建物の裏側や背部ですが、老朽化の痛みで損食激しく、取り壊しが近いそうです。同潤会アパートなどと同様の建築様式で、印刷機を動かす為に天井が高く設計され、最後の写真では機械を動かすレールが見受けられるなど、珍しい部分が見受けられます。

学生時代には、この様なバラック建物がまだまだあり、普通に実験授業でも使用したりしてました。この建物の前は来校時に必ず通り過ぎていた、日常の風景・思い出の中に存在です。当時、校内にあった、作りが似たような木造バラック建物が碁盤状に複数並んでいる姿は、写真で見たドイツ収容所のバラック風景を連想し、よい気持ちではなかったです。

写真の建物の対面にも以前は木造校舎がありましたが、既に取り壊しの重機が多数入っており、この写真の建物が最後?の現存する当時木造建物ではと思います。来期には、写真の建物は無くなっている可能性です。老朽化の危険もあり、避けられない事態だそうです。

当時は、多少の疑問に思って通ってはいたが、知る手立てがないまま、何となく~約20年後の今、資料館のおかげで判る事が出来て、もやもやが解消された感じです。

2010年11月29日 (月)

明治大学平和教育登戸研究所資料館

生田
生田
生田
生田
生田
生田にある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」に日を改めて行って来ました。

今回は前回のついで訪問ではなく、文学部教授兼館長の山田氏による「登戸研究所史跡ツアー」明治大学生田校舎に残る研究所史跡巡りと資料館の解説付きの案内ツアーに参加しました。

旧日本軍・陸軍登戸研究所は、陸軍中野学校、関東軍、情報・特務機関等と関連して、秘密・諜報・謀略戦に関わった研究所です。戦後、その跡地を明治大学が取得して、今日に至ります。

研究所の詳細はHPを参考にして頂ければです。

明治大学平和教育登戸研究所資料館のHP ↓ 

http://www.meiji.ac.jp/noborito/index.html 

かつて、もう約20年程前に通学していた母校で、この研究所の存在は少々知っていたけど、その当時姿の建物をそのまま使用?していたりしたので、今回の案内ツアーで驚愕の歴史を知る機会になりました。

当時は、学校入口近くにひっそりと佇む神社と鳥居に違和感?を感じたり、各所に在る軍事施設の史跡~研究所に実際使われる木造校舎(明らかに古く、旧式の様態)、立ち入り禁止の区域(髑髏マーク)が存在して、気にはなってました。バイオハザードのマークがまだ一般的?ではなかった20年前です。劇薬物の残留可能性もあるからとの注意喚起がありましたが・・・・教室の窓から見えたりするので、あまり良い気持ちはしなかったです。

5枚目の写メは、弾薬庫の史跡です。風船爆弾などに使用された爆薬の貯蔵庫?でしょうか?現在は史跡管理徹底で柵囲いされ、現状保存されています。私の在籍時には、この弾薬庫のような貯蔵庫がまだまだ他にありました。当時は柵も無く、草茫々に立ち入り禁止の施錠だった記憶です。現在はこの貯蔵庫だけが現存だそうです。写真からも判るコンクリートの厚さが戦時中の防御対策を垣間見れると思います。

4枚目の写メは、現存する木造校舎で、当時の偽札工場でした。「実験室B」の看板は最近まで学生の研究室として使われていた看板になります。今回、初めて?20年振りにこの校舎が偽札工場だったと知りました。何か?不思議な感覚です。

私の頃は、このような木造校舎は他にもありましたが、現在はこの建物以外は取り壊され、この偽札工場建物も解体予定だそうです。

2、3枚目の写メは、当時の消火栓で、星型の陸軍マークが軍事施設の記しを示します。研究所周辺は高台にあった為に給水設備が強化され、消火設備も研究所という形態の為、各所に設置されたようです。

3枚目の写メの消火栓は現在、食堂の入口前に、ポンと置かれて埋まっている状態ですので、知らないと何だ?と邪魔に思う人もいるかと思います。学生は食堂に来る度に戦争の歴史を垣間見ますが、写真状態では?だから知らない人がほとんどと思います。

資料館の内部は撮影禁止の為、残念ながら資料写真は無しです。

2010年11月28日 (日)

「前へ!」、北島監督御言葉

前へ
久し振りに訪れた母校のトイレ・小用の前方目線の先で、この張り紙シールに思わず感動!です。

トイレの男子小用での「もう1歩前へ!」の説明理由はあえて省略ですが、もうひとつ、前へ!には、明治ならではのメッセージがあるのです。

「前へ!」明大ラクビー部監督・北島忠治氏の御言葉で有名、好きな言葉の1つなのです。後進より前進、最期まで諦めない、困難でも突き進む、迷う・悩むなら前進~のニュアンスがラクビーの突進スタイルに合わせたように連想され、とても短い言葉だけど、力強いオーラを感じさせてくれます。明大生には、忘れらない言葉になります。

ラクビー試合といえば、大学入学年の1987年12月6日国立競技場でのラクビー関東大学対抗戦明治対早稲田の試合、伝説の「雪の明早戦」を最も思い出します。

サークルでのラクビー戦の自由席の座席取りの為、明治公園周辺に1週間前から交代で並び、ほぼ毎晩の酒盛り~夜食ラーメンのホープ軒で、お祭りバカ騒ぎをやってました。サークルの現役メンバーがほぼ男女100人くらい?、&OBの為の座席取りがあるので、自分達だけでなく、明早のサークルが其々溢れんばかりに並んでました。(現在では考えられない、お祭り騒ぎです)

12月6日の試合前日の深夜から、いきなり!雪が降り始めて、とても寒い中に並ぶ苦労で忘れられない思い出になりました。雪は朝方まで降り、並んでいた矢先、中止の心配もあり、当日の開催アナウンスに救われました。Gパンも靴もビショビショで体中が冷えて、この徹夜では酒宴どころでない寒さの地獄でした。明治公園前のホープ軒もこの時の味が忘れられないので、未だに食べに行ってます。外で食べる、立ち食いの雰囲気も深夜営業も、あえて冬の深夜の寒空を狙って行きます。

この日の試合は、寒さからスクラムを組む部員の熱気から白い湯気が立ち上るくらいで、観ている我らもかなり熱い思いで観戦です。ロスタイムでの攻防、トライの鬩ぎ合い、両校の壮絶な接戦もあり、後の日本代表選手となる早稲田の堀越・明治の吉田をはじめとした選手がいた事でも、伝説の「雪の明早戦」と言われています。「前へ!」の北島監督は、この時は監督でしたが、約10年くらいの後に亡くなられています。

明治の吉田選手は同学年に当たるのですが、現在はラクビー部監督で、自分の年齢の時間経過~20年以上をしみじみ感じてしまいます。ラクビーのファンの方なら、吉田氏の往年の時代の活躍&偉大さを詳しいかと思います。

「前へ!」を知らない現役大学生もそろそろ出現かなとも、今日この頃です。

明大ラクビー部のHP

http://www.meijirugby.jp/ 

来月の5日は、ラクビー明早戦です。

2010年11月27日 (土)

生田駅下車、 「宿場」が無かった・・・・「半かけ」が無くて残念! 

生田
生田
生田
生田
生田
今月の初め、映画イベントが読売ランド前駅下車だったので、参加前に生田駅で途中下車してました。生田駅は、学生時代に通学利用して卒業後ほぼ20年振り以来の下車になり、3月に学校関連施設の歴史研究所開設があり、そのついで訪問を兼ねて、さらに昼食を「宿場」で食べようと懐かしの思い出に浸る予定でした。

歴史研究所については後記述にしますが、生田の学生御用達のめし処、あの「宿場」が無くなっていてガッカリ、浦島状態で困りました。

「宿場」は、定食屋・めし屋という所謂、学生向けの食事処です。北野たけしも学生時代に良く利用していた事を自身が話したTVトークで聞いているので、昔からある、生田名物的定食屋だったのです。

メニューに「桑田くん」、「中畑くん」「清原くん」なんて定食もありましたが、もっぱら食べるのはカツ丼とカレーライスが1つの皿に合体している「半かけ」でした。週1~2くらい?で通った、1皿で2度美味しい、たまらないメニューです。この1皿で2度美味しいメニューが、さらに3度も4度もある、美味しい合体&オリジナルメニューのアイディア豊富な定食屋でした。

トルコライスならぬ、カツ丼とカレーライスの合体メニューは、「宿場」以外に出会った事が無く、秘かに?探しています。カツ丼とカレーライスを其々注文すればイイ、なんですが、やはり1つのお皿で出てくる丁度良さの量と価格に魅力です。

もう少し詳しく「半かけ」ですが、トンカツは1枚で、半分がカツ丼状態、もう半分がカレーのかかったカツカレー状態なのです。このボリューム感がイイのです。

生田駅は読売ランドに近いので、巨人軍の選手が訪れる飲食店・飲み屋が結構ありました。駅近くの鮨屋(名前が忘れ?ひろ?広鮨?)に、王監督サインを始め、巨人軍選手サイン、ポスター、記名ボトルなどがズラリ並んでました。あの「桑田くん」「中畑くん」の命名メニューもその辺りの関係?と思われます。現在、巨人軍選手といっても・・・・な時代?でしょうか。

事前調べもしてなかったので、「宿場」が移動?したのか、消滅したのか判らず、「半かけ」を断念でした。結局、おしげ食堂にて、定番ランチ定食になりました。他に、大三元(雀荘)、青柳食堂、学食(キレイになってビックリ)を記念用に写メしています。

何かの機会に「半かけ」を嫌がられそうな予感もあるけど、家でやってみます。

2010年11月26日 (金)

北海道・ガラナとペプシコーラ達

ガラナ
ガラナ
「コアップ・ガラナ」、北海道で売られているコーラです。都内の物産販売店などで入手可能です。

コーラのガラナ味?ガラナ事体がどういう味か判らないので、ガラナ味が説明つかず、北海道名物飲料と飲むと感慨が深い、それだけです。北海道の名物と知らないと????な飲料かもと思います。

ちょっと大袈裟に、ガラナの歴史を知ると北海道の流通~商域特性なんかが垣間見れます。

本州と離れているから商品流通や流布の閉鎖感、ブームが遅れてやってきたりする特殊性があります。ガラナ・コーラの歴史ですが、コカコーラに対抗する飲料として製造されていたが、コカコーラがブームになっても本州から北海道が離れていたので、コカコーラが根付く前にガラナコーラがすでに道内で広まって、コカコーラ上陸前に定着という経緯があるそうです。

実際、道内で商売している親戚は、東京で仕入れて道内で売るなんてことをしていたので、都会の流行り物にはいつも絡んでいました。かつてのインベーダーゲームも、当時はいち早く持ち込んで相当の行列~ローカル新聞小ネタにもなってました。母親の母、つまり母方の祖母は東京にも商売用支店を構え、都会・東京で流行るものを買い付けて北海道で販売する事をしていたので、子供時分から一緒に問屋街にもよく行ってました。KEYホルダーからオモチャ、雑貨、調度品などを仕入れるので、その関係のデッドストック品がゼブラ明治でのオモチャ関係入手に少々役立つ事もありました。

中学生のガンプラブーム時には、早朝から並んで購入列になんて事もありましたが、同時期の北海道訪問では余裕の選び&購入放題、たしか?西友あたりでも売っていて、それこそ、こずかいありったけの全部買いの記憶です。北の大地が遅れているとするのもですが、ブーム上陸の流布には津軽海峡の離れが、昭和時代には多少関係あるかなと自己分析してます。

北海道が好きなので、

とりあえず、mixiの「ガラナ」コミュに参加してます。

2010年11月25日 (木)

北海道・羊蹄のふきだし湧水抽出・名水珈琲

北海道
都内のスーパーでも比較的入手可能~売っている、北海道・羊蹄のふきだし湧水抽出・名水珈琲です。

一般的なアイスコーヒーですが、結構お気に入りです。北海道産となると、美味しく感じる脳内作用が働いています。

2010年11月24日 (水)

映画・監督の舞台挨拶イベント~行けず

映画
上野の不忍池近く、とある映画館が今年の夏、リニューアルされてました。

地元の映画館なので気になってはいたけど、なかなか観る機会(観たい映画でもなくスル―)もなく、そんなところ、mixiから上映イベントを知り、チェックしてました。しかし、当日、家族が寝込んでしまい、見送りせざろう得なくなり、来場を断念です。

地元・上野には、かつて映画館がピンからきりまで10数館ほどがあり、その公開映画のポスターが街中のあちこちに貼られてました。銭湯にも貼られて、子供ながらにそれを見る楽しみもあって銭湯に行った記憶です。当時は何故か?銭湯の内外に映画ポスターが多く貼られてました。

「グレート・ハンティング」「JAWS」「猿の惑星」「シャーク・トレジャー」「大陸横断超特急」「大地震」など、ポスターで興味をそそられる~ワクワク~観たくなる気がして、でも子供だとそんなには観る事が出来ない。そして、映画館の前のショーウインドーの宣材写真・ロビーカード(大概、白黒写真)を眺めに行って・・・・、なんて感じです。中学生くらいになると、なんとか、おこずかい範囲で観に行けるので、それで新たに映画への世界が広がり、チラシ集めの流行も映画への興味に拍車掛かりました。

そんな訳で、子供頃から当時のまま姿の映画館~自分の記憶での当時姿の地元映画館が場所を変えてのリニューアルがありました。(まだ建物は残っていますが、いつ?取り壊し?なのか不明)

その映画館興行は成年向けの上映館でしたので、行った回数は僅かぐらいで、妖しげな雰囲気もあり、最近はあまり行きたくなる映画館ではなかった?です。そういう意味では、昭和時代の映画館の佇まい、懐かしの風景の映画館です。今でも頻繁に前を通るので、街の風変わりに興味を引きます。ショーウインドーで宣材ポスターを見せる映画館も珍しいのです。

映画のロビーカードといっても20代の方には馴染みが無いかもですが、映画を語る上でも話が長くなりそうです。STOP。

今回の監督舞台挨拶の宣伝ポスター?の手書きスタイル、妙に「味」が出てました。

2010年11月23日 (火)

北海道・羊蹄山、名水の珈琲ゼリー

北海道
北海道
北海道
北海道・羊蹄山の名水で作られた、珈琲ゼリーの初冠雪バージョンです。

羊蹄山の湧水を使用した、珈琲はアイスコーヒー、ゼリーなどの商品が発売されてます。

今回は、その珈琲ゼリーです。

珈琲ゼリーをぷっちんプリン状態で皿に空けて、頂上の窪みにシロップとクリームを垂らし込みます。すると、白いクリームが垂れて・・・・まるで冠雪山のように見えてくるのです。

北海道好きには、たまらない瞬間です。味はもちろん美味しいですが、この雰囲気がおススメです。

羊蹄山はニセコにあり、「京極の噴き出し湧水」、名水百選でも有名です。ニセコでのスキ―は数回しか滑った思い出しかないですが、パウダースノーを感じる事ができました。札幌からの雪道で中山峠があり、4WDでのドライブがとても楽しかった思い出もあります。

以前の在道時代ですが、「私をスキ―に連れて行って」のユーミンの曲での運転が雰囲気でした。スキ―はもうしたくなくても、この雪道運転はもう一度、やってみたい思い出です。

又、スキ―以外の季節は、ニセコの温泉が楽しみで露店風呂から眺める羊蹄山の姿がGOODでした。

やっぱり、北海道が懐かしいのです。

2010年11月22日 (月)

北斗星のヘッドマーク 

鉄道
鉄道
鉄道フェスティバルにて、大好きな北海道へ行ける寝台車「北斗星」です。

北斗星は上野駅で発着風景が見れますが、尾久の車両センターにて真近で見る事が珍しいので、記念写メです。特に、車両の下部~車輪軸、モーター部などを見れる事が、メカ好き&機械好きには興味あるところです。JR職員が見回っていますが、機械部にはちょっと触れる事も出来ました。

2枚目の写メは、車両名は判らず、残念ながら鉄道知識がありません。

カシオペアは高級過ぎて乗れないけど、北斗星ならと北海道旅行を考え中です。朝に函館に着いて、朝市に行って、五稜郭行ってと妄想が止まりません。函館も新撰組関係巡りで何度も廻って、北海道でもかなり好きな地域です。時間のあった学生時代にしか、北斗星は利用出来なかったので、次は息子と2人寝台旅行です。こういう時、子供が男で良かった!と思える瞬間です。

2010年11月21日 (日)

鉄道イベント 鉄道フェスティバル

鉄道
鉄道
鉄道
鉄道
鉄道
JRが開催、尾久駅の車輌センター構内の「ふれあい鉄道フェスティバル」に行きました。

電車好きの息子の為に、本年の開催を楽しみにしてました。今まではプラレール系のイベントしか連れて行っていないので、本物の電車イベントは初めてになります。もう、朝6時から起きて待ってました。

当日、昨今の鉄道ブームもあるので大混雑を予想~早出を急かすものの、ノンビリ出発され、会場には12:00近く着となりました。会場のある、尾久駅近辺には、すでに相当の入場待ち行列で、場内入場には約4~50分掛かってしまいました。小さい子供連れには、この行列はキビシイと感じます。

さらに事前に上野駅で、鉄道イベントに合わせて駅弁を購入予定が販売所(構内の高架にある物販コーナー)の改装中で買う事が出来ずで、出足にもつまづいてました。この高架にある駅弁販売コーナーでは、各地の駅弁が購入出来る名所がありました。

駅弁はフェスティバル会場でNREの定番駅弁(幕の内と深川めし)を購入、旧型の客車の中で食べる事が出来て、ぼーやが大興奮でした。但し、フェスティバル限定の駅弁は売り切れで、一般的なNREの駅弁を購入です。旧型車内(4人掛けの向かい席)で食べる駅弁は、以外と美味く感じるものです。

こども駅長制服撮影会、レールスター体験乗車(線路の保守・点検を行う、足こぎ車両)も大混雑で並ぶのを諦めました。当の本人、本日の主役は5枚目写真のように、本物・線路で遊ぶ事に夢中で、ズボンを真っ黒に汚してます。茶色に汚れた線路石を持って帰る>限定品の鉄道グッズを買う、で済んで?親は金額的に助かりました。

SL・D51の転車台回転風景を見れたり、電気機関車の車輪や連結部を真近で見れたり、電車好きの主役には、大興奮の1日でした。

2010年11月20日 (土)

映画「マチェーテ」観ました

映画
映画「マチェーテ」を観ました。

グラインドハウス映画、ロドリゲス監督、ダニー・トレホ主演という事で、内容はともかく~その辺りはスル―で、出来の良さまで考えず?好きな俳優なので、とにかく楽しんで観る事にしてます。 

初めて、「デスぺラード」のナイフ投げの殺し屋役・ダニー・トレホの顔を観て、あまりの強烈・凄味にヤラレました。もう、その場にいるだけで、雰囲気が抜群!個性がバリバリ!顔で語る・ドンピシャ悪役ハマりでした。少しの登場でしたが、かなり印象に残る役でした。

「6ディズ・7ナイツ」「フロム・ダスク・ティル・ドーン」「コン・エアー」「トリプルX」での悪役登場で観ていたので、結構、悪いのに憧れるというか凄味がトンでもないので、あの雰囲気がお気に入りでした。実際、それなりの経歴&おつとめで、バックボーンが納得です。

「暴走機関車」がデビュー作品で、いつか観てみたいものです。

凄味で思いだすのが、昔、深夜の路上で、ホタテのおじさん~力也/安岡氏がスーツ姿で何故か立っていて、一瞬何かの構争?なんてビビりのビックリした事がありました。こちらが夜の買い出しでテンション高く、騒ぎながら歩いていたので注意?されるかと思い、睨まれて、そのままスル―でした。なんで?ホタテのおじさんがいる?なんて事より、まさにビビりです。顔と風体で、無言の威圧です。

という訳で、映画の内容はこちらを↓ 「マチェーテ」のオフィシャルHP

http://machete.jp/ 

マチェーテ=蛮刀、ジャングルを進む時に邪魔な枝葉をぶった切るナイフの事です。「エクスターミネーター」で冒頭のべトコンによる斬首シーンで出ていました。

ジャングル探検ツアーした時に、マチェーテを使った事があり、以外とバッサバッサと斬り込み続けられ、先が草木で見えないジャングルには必需品を実感し、でも振り下ろす回数が多いので手が疲れました。趣味のキャンプ用に持っているのですが、当時の台湾製ブレードの為、材質が悪く、すぐに切れなくなります。探検ツアー時の本場仕様?は、映画のように振ってバッサリと切れていました。何となく?恐いです。

それと、出演していたドン・ジョンソン(マイアミバイス)が結構老けていたので、自分の年齢時間の流れを感じたのが、ふと寂しい気持ちでした。

ダニー・トレホが主演の劇場公開映画、あとにも先にもこれっきり?と勝手に思うと、トレホ・ファンには貴重な映画、カッコいい!でした。

2010年11月19日 (金)

貴重な興業、「見・せ物」へ行きました

見世物小屋
見世物小屋
見世物小屋
見世物小屋
映画のついでに、せっかくなので、トリの市の見・せ物小屋に行って来ました。

先週、入れなかったの、今回は単独の約4年振り?くらい、久しぶりの「見・せ物小屋」見物でした。

実際に見てみたら、以前の自分の記憶?より、色々、良い方に変化していました。まず、みせもの小屋興行がこの小屋のみ雄一になったそうです。もう同業者はいないそうで、最後の興行団体になりますが、競争相手がいなくなり唯一の興行会社・最後の砦の見方もありますが、芸事が多様化した現在、ココにしかない貴重度でプラスではと思います。

さらに今年の「みたままつり」では見世物ではなく、お化け屋敷をやった事、演者が2人も若返った事!プードル犬の芸がなくなっていた事、週刊紙の取材が多い事などです。

演者には、お馴染・おみねばあさん(白装束)は~どうみても80近い・超えているよう?、健在でした。弟子というか、若いお姉さん(赤い襦袢・黒髪、名前は忘れ)が居て、そのお姉さんがおみねばあさんの変わりに蛇食芸をやっていました。弟子入りを志願?して、見世物小屋に参加したそうです。

2枚目の垂れ幕の赤い襦袢と大蛇の絵がお姉さんのイメージに似ていて、他の垂れ幕と絵柄タッチが違い、新し目に描かれている感じがします。顔を真っ白の口裂け女メークに日本人形の様な黒髪で、女優の広田玲於奈似?です。舌舐めずりして、蛇を噛み切りますので、とてつもなくホラー雰囲気のインパクト大です。

もうひとり、初めて見たギャル風の若い女性(名前ぴょんちゃん?)原始人風衣装で登場でした。幾分?NEWなハーフ顔立ちにも見えなくもないけど、そのあたりは、黙って受け流す雰囲気かなと思います。この2人の演者登場で若返った?印象あり、見世物興行の未来も安心?です。

雑誌の取材も多いそうで、自分同様、見世物小屋目的で酉の市に来る人が多いと言ってました。

昔に演目にあった、プードル犬の芸はもうやっていない?のかどうか不明です。どうみてもピンク色などにスプレーされたプードルは、可愛かったので残念です。

見世物小屋の商売形態も興味深く、やはり、100年以上?続いた?秘訣もあるようで、今月に早稲田大学の講座に見世物小屋文化の講演があるようです。

ディズニーランドの経済学ならぬ、見世物小屋独自の営業スタイル~トコロテン方式の客捌き流れ、料金後払い、外から中の演芸がちょっと見える興味引き、客引きの口上と開始の定期的なベル鳴らしなど、長年続いた商いの仕組みが随所に見受けられます。

2010年11月18日 (木)

007のボンドカー落札

007
先月の新聞記事より、007のボンドカーが3億円で落札されたNEWSがありました。

映画「007 ゴールドフィンガー」アストンマーティンDB5です。

2010年11月17日 (水)

酉・の市の目的:見世・物小屋

見世物
見世物
見世物
見世物
酉・の市で新宿に行く理由が、花・園神社の露店に「見・世物小屋」があるからなのです。

拒否反応もあるかと思うので、その場合はスルーでお願いします

酉・の市は新宿の花・園神社で開催されていますが、神社は芸能に繋がりがあり、アングラ劇団系唐十郎の芝居小屋でも知られています。その関係かどうか?判りませんが、この酉・の市の開催時期に神社内で見・世物小屋が見られます。だから、貴重な機会、ここに行かないと観られない、それが目的で行く理由です。

ちなみに雑司ヶ谷の鬼子母神、靖国神社のみたままつりでも観られる時もあり、全国を巡業しているらしいですが、私はこちらの開催時を狙って行きます。

子供の時、日暮里の諏訪神社で、在道時代に旭川の常盤公園・招魂祭、札幌の北海道神宮で観た事がありました。何となく、歴代?ほぼ同じ出し物~出演者の気がしてますが、考えても2~3十年はお付き合い?になるので、それも凄いかなです。

ちなみに、6日に呑んだ友人には遠慮され、自分も観覧する事が出来ずで泣いてます。(待ち合わせが深夜で、それまで友人を待たせていたので、断念)

写真の描かれている蛇女についてですが、この様に妖艶な美女がニシキ蛇を体に巻いての登場イメージは違わないのですが、美女がかなりのご老配なのです。昔の子供時分は、説明の口上で「遥か山奥で蛇と共に生活して~」と盛り上げてくれますので、何が出てくるのか~と期待がUPしてきます。で、白い着物襦袢を着たご年配女性(婆)?の登場で、喝さいとが入り混じります。今はもう、大人は判っているので、あくまでも、場を楽しむものであって、見世物興行を歴史ある芸能の側面として観劇する気分が必要です。

かつては、というか記憶では、「牛女」の見世物がありました。やはり、看板の垂れ幕には、体が牛で、顔が妖艶な美女で、牧場につながれている?絵がありました。同様に盛り上げる大体的な口上の説明の後、登場したのは、手足の短い、やはり、かなり年配の女性で、トコトコと舞台を器用に進み歩いて行きました。すぐに先天的な障害だと判りますが、子供時分には、充分な衝撃です。ギャグで牛のように太った女性が出てくる!なんてものではないので、神妙な面持ちです。

狼少女?の見世物もあり、記憶の口上では「森の中で狼と共に住み~」と垂れ幕に狼の乳を吸う赤ん坊~野生の生活などが描き込まれて、出てくるまでドキドキでした。狼少女、所謂、毛深い、またまたご年配の女性の登場です。童話の「狼にそだてられた子」を読んでいて、登場までのドキドキ感は結構ありました。小さい頃の記憶であやふやです。

映画で言えば、「フリークス」な世界です。でも、伝統芸能として、江戸時代から興行が大衆娯楽文化として広まり、かつては何千軒?もあったそうです。かつては、あの菊祭りの界隈でも、この見世物・出し物小屋が立ち並んでいたそうです。

最近は、牛女の出し物は見受けません。蛇女の出し物の一つ、蛇を口で噛み切る、白装束のご年配の女性~ここ十年ほど同じ顔の方ですから、相当な年齢かと思います。顔を真っ白にしていますが、ひょっとして70代?80代?なんて感じです。もう出演しなくなったのかなと、毎年?あらぬ想像をしてしまいます。

と、いつも思うのは、次回(来年)の興行はあるのかな?の心配です。毎年行くほど行けていないので気にしてました。

昔は1000円?、今は800円の入場料になってました。面白ければ、1000円釣り無しです。

2010年11月16日 (火)

酉の市、花園神社

酉
酉
酉
酉
過去記事ですが、6日(土)の深夜、酉の市(一の酉)新宿・花園神社に出掛けてました。上京していた旧友と飲む約束の合流時間をずらして貰い、深夜に掛けての呑みでした。

6日は忙しい日で、旧陸軍登戸研究所(母校の跡)にて戦跡説明会~中座、グリソム・ギャングで映画「スケ番★ハンターズ」イベント~、深夜、新宿にて酉の市です。この3日前にも、ドームコンサート&オフ会徹夜と、ちょっと出掛け過ぎ、カラダがキツイ状態です。又、6日には、マハラジャ再OPENもあり、こちらはさすがに見送りました。といいつつ、深夜に掛けて飲んでいましたが、友人の誘いがあれば、マハラジャに向かっていたかも?です。

本年の酉の市は7日(一の酉)、19日(二の酉)が開催で、前夜祭というものがあり、開催日の前日夕方から深夜(浅草おおとり様は24H)に掛けてお祭りが催されます。お祭りというか、商売繁盛のお守り~熊手を購入する為のお祭りでもあるのです。

この前日の深夜から酉の市が開かれる事が大事?、なぜなら、縁日・露店で、深夜の賑わいの中、お酒が飲めるからなのです。ちょっと寒い外で呑む、熱燗、おでんとか焼き物、たこ焼き、お好み焼きが格別にたまりません。酉の市に行く目的が、露店や出店であって、熊手購入では無いのです。本年は一の酉の前夜祭が土曜日という、とても都合のよい日取りです。なかなか平日の深夜では、キビシイので、本年は珍しい曜日です。

二の酉の19日(金)の前夜祭、開催時間等は、開催場所によって異なるので注意が必要です。

夜、賑わう夜店で呑むお酒&焼き物が格別であって、その為に酉の市に行く~そんな気分です。イベント商売の為に熊手を購入を考えますが、一度購入すると毎年同じお店で購入しないとならない言伝え?を気にするので、購入はしていません。熊手の購入の際に、お店の人が、名物の商売繁盛の手拍子をしてくれるのは気持ちが良いので、それを聴いて済ませてます。

地元的には、浅草のおおとり神社の方が規模が大きく、人でも多く、さらに多くの露店があり魅力的ですが、とある?事情で、新宿・花園神社の方を選んでいます。

酉の市に行くのは、花園神社でなければならない理由があるのです。明日に続くです。

2010年11月15日 (月)

奇跡!Perfume・5万人会場で、映画監督さんと出会う

奇跡
奇跡
「逆襲!スケ番★ハンターズ 地獄の決闘」監督・奥田さんと、3日のドームコンサート5万人観客のなかで、奇跡?的な出会いをしました。

そのドームコンサートについてですが、監督さんのプログでハマっているPerfumeの記述をされており、せっかくなので幾度かコメントをカキコしておりました。ドームコンサートへの盛り上がりの日々の中で、監督さんへコメントをするのも躊躇(失礼かなと思いながら)しつつも、図々しくカキコです。

監督さんにPerfumeに関するコメント、スケ番にも映画にも関係ないしですが、監督さんのPerfumeへの盛り上がりが日々記述され、かつての自分のハマり方の場合にも似ている?ので、何となく親近感がありました。

そんなこんなで、ドームコンサート開催当日です。

開催前は、オフ会もあったので結構ギリギリで入場で、何とか自分のブロックに辿り着いてます。その時に、奥田監督さんに似ていらっしゃる方を偶然に見てますが、開催時間が近いので、そのまスル―で座席へ移動です。まさか?そんな事はないだろう?です。

コンサート終了後、出口へ向かう時に、先ほどの似ている方を再見し、「コレは!」と思い切って図々しく、声を掛けました。奥田監督さんの顔は、スケ番★ハンターズに関するHPや宣材等で、自分は知っています。当然、監督さんはこちらを知る由もないので、自分のハンドルネームを名乗り出ました。

まさにビンゴ!!奥田監督御自身でいらっしゃいました。コンサートの余韻の中、その偶然でカラダに電気が走りました。

ご挨拶もそこそこに、出口までの数分間を歩きながら、奥田監督にスケ番★ハンターズに関する事を色々教えて頂き、さらに名刺交換までもして頂き、とても貴重な時間になりました。

同じ座席枠だったとはいえ、5万人の観客の中での出会う確率を考えても、奇跡に近い出会いです。私も監督さんがどこで観戦しているかも知る由も無いし、もし、自分が開場早くに着席していれば判るはずもないしです。

オフ会プレ(コンサート開始前の集まり)で、外人Perfumeファンと連れだって移動し、その外人さんが界隈で有名人だったので写真撮影やら何たらで、入場がギリギリになっていました。その為、入場で混雑するで無く、スタート前のほぼ着席済の会場を俯瞰しながら、自分の席移動を行う中での監督さん姿の発見に繋がる事も考えると、ひとつひとつが奇跡のように結びついています。

先週のグリソムギャングではお会い出来ませんでしたが、29日のロフトイベントで、お会い出来るのを楽しみにしております。

そのイベントでさらに楽しみなのが、スケ番★ハンターズにやられる白スーツの組長、掟ポルシェさんの登場です。「ロマンポルシェ。」の掟ポルシェ、Perfumeファンならその彼女達のブレイクに繋がる歴史に於いて絶対に知られている、数々の伝説~躍動・騒動?・サポート・迷惑?・不自然なゲスト!「盗んだバイクで天城越え」の方です。

「Perfume」ファンになって「掟ポルシェ」を知り、その「掟ポルシェ」さんが出演している映画「スケ番★ハンターズ」を知り、その映画の主演女優「亜紗美」を知り、ハマっていく相関関係?が出来上がりました。

そんな、奇跡の1日がありました。

2010年11月14日 (日)

自主映画を作成していた方を伺う、8mmカメラ

映画
映画
14日のイベントに参加中、出店者の中に8mm自主映画の写真を何十枚も壁面貼り展示をしている方がいて、話を伺っていました。

イベントは模型メインなので、なぜ?自主映画の写真(約20年以上前)を展示しているのか?と不思議でしたが、伺うと特撮映画のためにミニチュア作成をしていた~模型繋がりでした。

8mm映画での作成は、当時、映写機が買えず、VHSビデオを機材に使用せざる得ない状況の者には羨ましい限りです。高校に映画研究(映研)系クラブがなかったので、拝借も出来ず、VHSでの撮影でしたので、思わず、見入っていました。

自主映画?それ以上ですが、80’「戦争の犬たち」という日本映画~飯島洋一、安岡力也、たこ八郎、泉谷しげる!など出演していた作品を思い出します。同年80’「戦争の犬たち」クリスト・ファー・ウォーケン出演と同名?で、間違える?事も無いのですが、アクションコンバット系で、自主以上の本格作品です。ビデオは中古品で、DVDは?発売もされるかどうか?でしょうか。

当時(自分が中学生くらい)、大学で自主映画上映会が200円?くらいで開催、上映されていました。現在、そのような自主映画上映会は、ホラー系~学生自主残酷映画祭?があるようなので、いずれ、足を運ぼうかなと思ってます。

補足・日本映画80’「戦争の犬たち」の参考・関連HP 

http://basaraningen.com/supportact2colum.html 

http://woman.excite.co.jp/cinema/movie/mov11194/ 

http://www.otokonohakaba.com/category/229926-1.html 

2007年に男の墓場プロダクション配給で劇場公開!もされたようです。凄い!~27年振りの配給です。

表に出ない、日の目を見ない、たまたま埋もれた作品は少なからず存在です。世に出る、?運が強くてメジャーになる、ブレイクで売れる?なんて事も、エンターティメントの世界、いや、どんな世界でも起こりうる事は否定出来ません。この辺りの記述も語ると長くなるので・・・・この辺りで。

2010年11月13日 (土)

「スケ番★ハンターズ」、東映ピンキー・バイオレンス

スケ番
「スケ番★ハンターズ」にハマる前に、こちらのムック本を購入してました。5~6年前頃?だったかも?です。

70年代の東映の女性主人公映画~「女囚さそり」「ドラ猫ロック」などを中心に解説されているので、当時を知らなかった自分も、こちらで勉強?でした。

映画のポスターが街の銭湯や商店街、壁?などにベタベタ貼り付けられた時代があったのです。電信柱にステ看のごとく、木枠で針金に結び付けられた映画のポスターが結構、あちこちにあった記憶です。70年代の昭和です。

タランティーノ監督の「キルビル」の公開に合わせて?記述されたムック本かもしれません。「キルビル」には、東映ピンキー映画の影響があると言われてます。

2010年11月12日 (金)

「スケ番★ハンターズ」から、 映画と雑司ヶ谷の思い出

スケ番
スケ番
まだ「スケ番★ハンターズ」の思い入れが続いています。イベントで、中平監督のサインもお願いし頂いております。プレゼントのロビーカードは監督自身の作成で、このロ―ビ―カードに拘る気持ちも映画ファンにはたまりません。

自主映画作品という事で、映画製作への発端、計画、実行、資金、役者、スタッフ等との関連にも興味があり、グリソムギャングでのトークショーで監督自身の話を直に色々聴けた事がとても嬉しかったです。これだけの映画をカタチにされた苦労、度胸、仕掛け、仕切りなど、エンターティメントを提供される側の気持ちは図り知れません。

そのような意味でも、監督さんのサインは貴重な宝物、オーラにあやかってます。

自主映画と聞いて思わず反応!、映画製作というほどのものでなく、昔、同級生と映画談義にハマった事があるので、未だに映画作りに興味はあります。ゾンビものホラー映画の活動、以前にも記述してますが、機材はVHSビデオで・・・・今思えば、何ともトホホです。

その時の親友(監督担当)は映像関係専門学校に進学、卒業後はADとして業界現場で昼夜ぶっとおし働くも、挫折~以後アルバイト転々・・・・、こっちは大学生でダンパだスキ―だで現実ラインの溝が広がり、自然と音信不通になりました。結局、無職になった親友になけなしのお金を貸し続け、ある時、パチンコ?から出て来て、ばったり、お互いにバツ悪くなり・・・・が最後?の記憶です。 

中高と一緒で、映画チラシ集めから、3本立て映画館巡り(三茶、大山、大井町、文芸坐、新橋、飯田橋等)、特に映画「ゾンビ」駄話など、映画について相当関わってきました。又、地元の同級生の家が映画グッズ店の貸倉庫?を所有しており、倉庫解体閉鎖の際、そのまま捨て残された、山のような映画グッズを狂気乱舞?で貪り集めた思い出があります。その友人も我が家に前泊、解体業者のブルトーザー到着前に早朝より参戦の思い出です。

その時に保管した、スターウォーズのグッズ(帝国の逆襲頃)が数十年後に、USAの譲渡土産になり、今日のゼブラ明治のディラー活動の最初の商品になるのです。イベントで、猿の惑星パンフを新品数十冊並べて、驚いて疑問に思うお客さんもいました。解体時に、パンフだけで数千枚?それこそチラシ、ロビーカード、各ショップで返品になった値札付きの映画グッズの山~下敷き、KEYホルダー、財布など、今思えば、もっと取得しておけばの後悔です。映画だけでなく、アイドル、タレントものもありました。

クレーン車やブルトーザーで解体するので、捲かれていた水(埃防止)で、ビショ濡れになっていくパンフの姿は目に焼き付いてます。溢れかえるグッズの山で玄関が占領、当然、親から注意を受け、一時期、自分の部屋の中がパンパンになってました。

又、20歳頃、映画の親友は雑司ヶ谷のアパートに下宿、池袋で飲んで、その下宿に転がり込んで、映画談議のオールナイトが常でした。マイアミ・バイス、あぶ刑事、遊戯シリーズ、ゾンビ、など、安酒と映画の語らいです。昭和の感じが色濃く残る、雑司ヶ谷の踏切の近くのアパートだったので、雑司ヶ谷付近は何かと映画やTV撮影に使われる撮影ポイント?みたいな印象があり、映画談議をする上でもテンションUPの地域?です。

あの、都電の線路沿いを、酔っ払い語りながら、そぞろ歩き、それこそ、映画の役者セリフを真似ながら、偶に深夜SENRO歩いたり?思い出が付きません。今思えば、この危険な行為、雑司ヶ谷の線路付近は簡単に可能?だったのです。又、池袋から雑司ヶ谷に歩く途中・目白通りに、何故か?タワーレコードもあり、よく利用してました。

その思い出で、「スケ番★ハンターズ」雑司ヶ谷撮影シーンに、胸がトキメキました!しかも、亜紗美軍団のSENRO歩きシーン登場には、とても親近感?です。あの付近一帯、なぜか?映画の風景、まるでスケ番の居そうな世界観に良く合うのです。 

もしかして、中平監督もあの地域に思い入れ?あったのかなと、気になりました。

映画ファンで雑司ヶ谷を語る、稀な存在?でも、映画ファンなら通じるモノがあると思います。

追記:中平監督さんの会社(Viemo)のHPを訪問していたら、なんと「ゾンビランド」「ザ・ホード」のグラフィックを担当されてました。もちろん、こちらだけでは無いですが、ちょっとびっくり、又、さらに感激しました! 

2010年11月10日 (水)

「スケ番★ハンターズ」 女優・亜紗美・姐さんの魅力

スケ番
スケ番
スケ番
「スケ番★ハンターズ」イベントの参加熱がまだ冷めないので、引き続きです。

当日は、2枚目になる亜紗美さんのサインも頂いて、発売されたばかりのスケ番・サントラCDを購入です。そのプレゼントに監督特製のスケ番・ロビーカードが特典に付きました。このような特典もあるので、やっぱりイベント参加は楽しみなのです。

女優・亜紗美さんについて、記述してます。

一枚目写真のロビーカード、亜紗美さんの迫力ある目つき(メジカラ)、「この野郎ーー・・・・」なんて怒鳴り飛びかかりそうな勢いのある瞬間!コレが、素敵です。普通にしていると、とても可愛い・あどけない童顔?愛嬌、でも首から下がとてもグラマーで肉感的?・・・・そのアンバランス感に、何となく魅かれてしまいます。(私見ですのでファンの方ご了承下さい)

とにかく、映画の中の亜紗美さんの迫力演技のビシバシ、グイグイくる演技が、ハンパないです。アクション女優というジャンルか、東映ピンキー映画を知っている映画ファンなら、ハマるのが判ると思います。(というもの、私的にはその年代のピンキー系には疎いのです)

「女囚・さそりシリーズ」も初代からではなく、多岐川裕美版で知って、斎藤陽子版でガッカリして、梶芽衣子版を改めて知るというパラドックスであった為、初代の迫力は凄まじかった記憶です。又、ビデオで岡本夏生?版もあった?ような、あるような?記憶です。

東映のピンキー映画も70年代当時は、幼稚園~小学生だったので全く判らず、むしろ東映まんが祭りの方でしたので、実感がないのです。

私見ですが、大好きな優作・遊戯シリーズに出演の女優・竹田かほりをちょっと彷彿してます。「探偵物語」、「桃尻」、「俺達には墓はない」のミチとか、自分の中では印象に残る、好きな女優さんでした。遊戯シリーズ「殺人遊戯」に出演して、「処刑遊戯」で森下愛子が出て、その両者がカブる?似ている?なんて、見間違いも当時ありました。さらに、「俺達には墓はない」でも森下愛子がサイクリングシーンで出演したので、余計にダブル?なんて事がありました。この二人は、なんとなく顔立ちが似ている?気がします。

亜紗美さんへの彷彿の理由は、全くの私見ですが、愛嬌のあるフェイスと唇・口元が竹田かほりに似ている?と思ったから・・・・です。

ちなみに失礼ながら、私の理想女性タイプは図々しくも、水野真紀&鶴田真由&桜井幸子です。でも、二律背反、相反してチョイ悪風なスケ番タイプ~三原順子、昔の中森明菜、団令子、梶芽衣子にも憧れます。学生時代はマセたズべ公・スケ番には無縁な生活だったので、チョイ悪には魅かれる事もあるかもです。中学生の頃、池袋界隈特に西口近辺でカバンがぺしゃんこ、長いスカートに、袖まくりで、マスクして、ちりちりパーマな女子高校生の姿、なんとなく記憶にあります。

それと、映画「夜をぶっ飛ばせ、ブローザナイト」?正式タイトル名不明~スケ番モノがあった記憶で、中古ビデオを持っていた?ような記憶です。決して、ローリーングストーンズのでは無いです。

「スケ番★ハンターズ」はスケ番となってますが、ビーパップ系スケ番が出てくるのではないです。元スケ番の姉御?元女番長?の亜紗美が舞い戻り、街の悪軍団と戦う、マカロニウエスタンの感じです。

スケ番あっての亜紗美さん、やっぱり、亜紗美さんあってのスケ番かなと思うと、この両者の織りなす世界観に包まれた映画「スケ番★ハンターズ」が、逸作に思えてなりません。 なんたって自主映画作品ですから、限られた予算の中で仕組む事の背景を考えると、とてつもなく、痺れてくる感覚が、映画ファンには感じます。

やっぱ、映画ってイイなぁ、なのです。

2010年11月 9日 (火)

映画「スケ番★ハンターズ」 イベント

スケ番
スケ番
スケ番
映画のイベント「スケ番★ハンターズ」の上映会とトークショー、懇親会をシネマBAR・グリソムギャングにて開催、6日を参加しました。

4月のイベント・スーパーフェスティバルにて映画「スケ番★ハンターズ」のトレーラーを初見、亜佐美・姐さんにハマり、こちらの映画にハマっています。

最初は、Perfume関連から掟ポルシェさん出演(組長役)という事で「スケ番★ハンターズ」を知り、当日イベントで本物の女優・亜紗美さんを見たら、とてつもないオーラを感じて思わず速攻、サイン会を申し込んでました。確か、申し込み4番目で断然、亜佐美姐さんの魅力の虜でした。

詳しくは、「スケ番★ハンターズ」の映画のHP 

http://www.hunters-movie.com/ 

女優・亜紗美さんのプログ~「抱きしめたい!骨が折れるまで!」

http://spopro.net/blog/asami/

6日(土)は、「爆発! スケ番★ハンターズ 総括殴り込み作戦」中平監督自身と音響監督、出演女優さんのトークショーがあり、そのトーク風景記念・写メ(3枚目)してます。

「スケ番★ハンターズ」の魅力は当プログで既に語っていますが、今回はなんといっても!監督~出演者~スタッフさんのトークショー&懇親会があり、このイベントに参加(集合)した各プロガ―さんやmixiを通じて知り合えた方と直に会える機会があり、とても楽しめるイベントになりました。

今までスケ番や亜紗美さん関係の語り合いもプログやmixiだけでしたが、こうして直に語り合える事がとても刺激になり、その事がやっぱり嬉しいものです。

又、mixiで知り合えた方(亜紗美情報発信が白眉)にプレゼントまでも頂いてしまい、参加費以上の充実・満足を得ております。

開催場所は、小田急・読売ランド前下車の「シネマBAR ザ・グリソムギャング」です。

HP:http://grissomgang.web.fc2.com/ 

店内には、往年の映画ポスター、チラシ、フィギュア、ロビーカード、グッズなどが張り巡らされ、映画ファンにはたまらないBARです。

2010年11月 8日 (月)

Perfume コンサートの記事 芸術作品

記事
新聞記事に先週のPerfume・ドームコンサートについての記述がありました。新聞記事にもなる、改めて凄いな~と思う、今日この頃です。

もう、あれから1週間と思うと、日数経過が早いモノ、アラフォーはまだカラダが・・・・です。(土曜日もオールして遊んだので、ツケがダブルで!)

DVDの「GAME」、「Bitter」のライブハウスの眩しいばかりの照明の中で踊るメンバー達と客のタテノリパワーが圧倒、それにグイグイ引き込まれ、見ている者を感動をさせた経緯があるけど、今回のドームコンサートは、芸術作品?の印象を感じてました。

歌もエフェクトと判っていて聴いているし、定番・お客さんのイジり、広島弁混じりのトーク、ファンクラブ(FC)での掛け声・フリの一連の流れを判っているので、コンサートはとても楽しかったです。

そして今回は10周年記念お祝いコンサートでもあるので、「Wonder2」で一旦終了、アンコールでのメンバーのトーク~「ポリリズム」で完全終了とフィナーレは感動的でした。ココで泣いても、決して可笑しくはないでしょう・・・・自分も含め、ファン達が・・・・です。

練習や準備をこなして来た事はもちろん!だけど、メンバーの完成・精錬されたダンスに一種の芸術性を見出した感があります。もう所謂アイドル?ではない、メンバーの大人の魅力というか、アーティストの魅力というか、綺麗・華麗なるコンサート=芸術作品です。

でも、基本、ヒトの基本というか、メンバー達のそのような部分(上手く説明が・・・・)は、変わらず、好印象、あえて言うなら以前のままです。

過去?~部分を封印というより、完璧・完全に解き放たれたような?印象、新たなスタートの予感です。

これからのメンバー達の活躍、コレに目を離せない~益々ハマる~応援続行です。

2010年11月 7日 (日)

考察 「東京ドーム 興行」について

考察
コンサートの余韻に浸りながら、又、自分の数少ないコンサート遍歴で、こんなに感動的なライブがあったかと緩々と続いています。

ちょっと、ドームについて、私見的な考察をしてみました。

東京ドーム~後楽園スタジアムの前身、競技場の頃から会社の仕事絡みで、ジャイアンツ・オーナーズ・シートにお付き合いがありました。ジャイアンツの試合を幼少の頃は良く観戦したり、接待で、地方取引先の方にはジャイアンツ戦は結構、評判が良かったです。それを目当てに来訪?される取引先もあったので、以前は、ジャイアンツ戦はプレミアものでした。小学生時に王選手の765号ホームラン?の記念色紙を頂いたりの記憶もあり,ジャイアンツ帽子に、ジャイアンツ野球パジャマの幼少時代・・・・、巨人贔屓でした。

ただ最近は、自分も含め、野球観戦自体にも行かないし、ジャイアンツ戦に対しての盛り上がり度も下降気味の気がします。

競技場頃の組合等からの付き合いだから、結構長い付き合い~野球場スタートしてからのシート席、後楽園スタジアムから続いていました。その関係?で株も付き合いしているので、遊園地・黄色いビル・レストランとの割引券もあり、利用の機会が多くありました。会社の業界関係のイベントもドームでも行われています。

1昨年は、ジャイアンツ戦の人気下降気味というか、接待的要素(接待側からの要望も減少傾向)から、シートの年間契約を解約しています。やはり、価格的な維持が大変です。しかし、ジャイアンツ・ドーム側から、猛烈な引き留め?営業的攻勢?で、僅かながら形態を変えてシーズンシート契約にして残しています。かつては、オーナーシートもプレミア価格で、取得価格以上(バブル時は数倍?)の譲渡要請もかなりありましたが、昨今は、停滞・下降傾向、販売・営業側も数年前には考えられない低姿勢営業です。

そんな、こんなで、ドームに馴染みあるので、興行的な採算を自己都合で考察です。個人的な推測で、勝手な妄想・想像のつぶやきなので、なにも根拠はないです。

1日のみの開催だから収支採算も懸念されますが、そのあたりの大人事情は判りません。そして、私が思うに、ドームコンサートのレンタル?費用が数年前に比較して、下降しているのではと推測です。もし、ドームのスケジュールがたまたま空いていたら?それも1日だけでも利用出来るなら?とか、営業サイドとの交渉も容易かなと。もしかしたら、数年前には、今の経済状況ではないから、レンタル料金もそれなりと思います。メンバーのブレイクが、その時代変遷に上手く並行・加味している事、それも、メンバー達の運があるのかもしれません(この部分に関して)。

去年の12月にメンバーがドーム開催希望を伝えた事から、憶単位のビジネス・ドーム開催までのスケジュールを考察しても、急な決まりを彷彿?してます。

そして、メンバー達の会社業績貢献度、10周年記念、これからの発展要素を考慮しつつ、と考察して開催への肯定的な見方が浮かびます。

又、大里会長のドームへの思い入れ~キャンディーズの解散コンサートの自費開催など(この辺の説明は省略)、メンバー達の開催希望が経営者の思い入れにも合致したかな?とも考察です。

とにかく、ドーム開催がチケット・ソールドアウトなど、コンサートの大成功はあります。一方、素人考えの興行的収支側面から伺うと、1日開催では会場設営など収支が見合うのか?とも余計な心配です。

もしかしたら、このドーム開催には、興行的会場設営収支を顧みない側面があり、記念・お祝いで開催された?気をしております。メンバーは当初、会長のキャンディーズのような、3人の女の子の平成版?を狙っていたような話を聞いた事があるので、会社もドーム開催への動きにはプラス方向で動いた?と推測です。

会長の話というか、根も葉もない噂話程度の記憶ですが、浅草のミュージアム、三社祭りへの寄付など、結構な個人的な寄付?会社は通さない?自費があるらしく、浅草界隈の町内では有名な逸話になっています。浅草寺のニ天門のライトUPも自費?らしいとの噂があります。やはり、「芸能」に重みを感じ、慈しみ、愛しているからこそ、出来うる行為かなと解釈しています。きっと、メンバーの希望をポッンと叶えて挙げたのかもしれません。

あの、さんとりー佐治会長の「やってみなはれ」、メンバーの希望実現?でしょうか。

でも、お祭り~記念御苦労さま的な安易な事は考えたくもない気持ちもあります。開催して頂けただけでも有難いので、ファンにはもうそれだけでも充分です。矛盾はしてますが、あくまでも私見考察、経営側の印象なので、そのあたりはご了承ください。

色々記述しましたが、察するに、結論的に、全国規模ワンマン・ワンディ開催、ドームはこれっきり?かなと、あえて自分勝手に単純に霊感・予感・推測・考察です。

ドーム成功はもちろんですが、ドームがアーティストの頂点トップでは無くて、ドーム開催以後のメンバー達の更なる発展の為の幕開け~の一つに思えてなりません。ドーム開催すらがステップUPのほんの1段ぐらい、ドームで頂点~そんなモノでは無くてドームからがリ・スタート、このような思いも感じます。

数年後?来年?もしかしたら、又ドームに再集結!、当然期待してます。その為には、今まで以上のファンの応援が必要かも?と思う、今日この頃です。

追記:11日のSOLのラスト近くを聴いたら、こんな考えは余計な事です。メンバーの1人が苦しんでいた事を思うと、心が痛みます。

2010年11月 6日 (土)

Perfume 大人ファンの集い オフ会INドーム

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コンサート記念販売品のお菓子セットをお家用のお土産に購入しました。Perfumeアウェーの状態に、さらに早朝帰りでは家族の文句も凄くて、このお土産程度では済まされなく、しかも土曜日も映画系のイベントで出掛けるので、気を使います。また、マハラジャの再OPENイベントもあるのですが、とても出掛けられる体力が無いです。ドームの余韻がまだカラダに残っています。

でも、お菓子を食べると奥さんもちょっと機嫌が良くなって、ホッとしてます。(コレでは騙されない)ビタミンドロップにPerfumeのロゴが入って・・・・と言うと、ドン引きの様子です。

3枚目の写真、銀色テープは、コンサート会場の盛り上がり花火?と共に捲かれたテープ?です。オフ会で頂きました。そしてオフ会の幹事さん作成の名札と乾杯コップで、こちらも記念品になりました。

オフ会では、参加者さんの熱意&武勇伝?ハマり度を聞くのもイジルのも楽しみの1つです。遠く九州からの参加とか、NBBのPコートを購入・しかも着用されているとか、グッズ全種買いの方とか、熱い思いや濃い話が出てきて、まだまだ色々あるのです。

確か、チケットが取れず、ライブ会場の側まで行って、その音響漏れ?で参加された方がいて、さらにその場所が四国と聞いて・・・・ぶったまげ!ました。その話を聞いて、驚きはしますが、その熱い思いが、ふと羨ましくもなります。そこまでして、そこまでする事に意味がある!なんて、感動です。

2次会のDVD観賞会では、ライブシーンの観客で映った方もいて・・・・、しかも、その映った時に着ていたシャツが、ドーム当日の今日と同じ?であった偶然?意識?のエピソードがあり、深夜の中、笑い転げました。

そんなこんなで、ドームが終わった今も余韻に浸ってます。

2010年11月 5日 (金)

コンサートの記念写真 

写真
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1枚目は11月4日午前4:30頃のドームの写真です。

会場にて写メした、ファンの方々の写真、思い出になりました。

2010年11月 4日 (木)

Perfume In TOKYOドーム 開催

ドーム

3日は快晴天気、絶好の日和で太陽の日差しが気持ちいい事と、PerfumeのドームコンサートのテンションUPで出掛けました。

この日は、「プレ大人Perfumeファンの集い」オフ会~コンサート~「第10回大人Perfumeファンの集い」オフ会~2次会という流れで、昼の12時から翌朝4時過ぎ始発ぐらいまで、ドーム周辺にいました。

オフ会差し入れ用に、上野名物・うさぎやのどら焼きを買いに行ったところ、なんと!お店が休店で唖然。困ったところで、松坂屋へ戻る時間もキビシイので、残念ながら手ぶらになりました。それならと、オフ会の幹事さん宛てに、ドーム記念&開催10回記念&オフ会開催感謝を込めて色紙メッセージを作成しようと画索です。ドームでもし?有名人に出会えたらで色紙を購入しており、思わずひらめきました。

大人Perfumeファンの集いの様子は、幹事(中村ゆうこさん)のプログで詳しく出てます。

Perfume★第10回大人Perfumeファンの集いレポ

http://yukonaka.blog47.fc2.com/blog-category-29.html

http://yukonaka.blog47.fc2.com/blog-entry-218.html#comment 

Perfume愛に満ちた?大人ファンの様子を面白~可笑しく~楽しく~熱くレポされています。

ドーム会場移動前に「プレ大人Perfumeファンの集い」幹事さん発声で、Perfumeファンなら判る「恒例の3人手を合わせて頑張ろう!」を、参加者30名みんなで掛け声してます。 こういう円陣は、独り参加では味わえないので、結構、大人ココロに嬉しいものです。何となく、文化祭のノリ!テンションがUPしてきました。

ドーム会場へ着くと、一緒に「this・penguin」という、Perfumeファンには知られているアメリカ人がいた関係で、通りすがりの人達から盛んに一緒の写真を撮らせて下さいの声を掛けられました。シャッターを押してあげたりしていると、あっちからこっちから、Perfumeファンには知られている著名なプロガ―さんから「this・penguin」を見つけて来られたり、で益々自分のテンションがUPしてきました。「this・penguin」恐るべし、有名人でした。写真は、次のプログにUPしてます。

17:00過ぎにPerfumeの3人がウエディングドレスを彷彿する衣装で登場、ライブがスタート!、約3時間近くのコンサートがあっという間に過ぎてしまいました。

終盤のゴンドラ登場シーンでは、かなり間近で彼女達の姿を見れて大満足です。ライブ中はファンクラブの方達が多い席ですが、隣の人がコートを着たまま、ずぅっ~とオペラグラスを離さず微動だもしないので結構気になりました。(不思議だぁ?)

そして、3人横後ろの人がサインボールをGETしており、悔し泣いています。(しかも、かしゆかボール)

3万人の観客を埋め尽くす東京ドームは、とてつもなく壮観でした。ファンの一体感、ココまで盛り上がるアーティストは、Perfumeならではでしょうか。まだ女子大生の彼女達に引き込まれる魅力?、簡単な言葉では表現出来ないです。なんでファンになったのか?ハマっていったのか?未だに判らない自分です。これからのPerfumeはもっと強大になるパワーがあるのではと感じています。

ファンになって「大人Perfumeファンの集い」オフ会への参加をして行った事も、ハマりに拍車を掛ける要因かもしれません。やっぱり、語るというイベントも楽しいです。

と言いつつ、2次会のDVD観賞会も、ファン同士で観賞する共感という感じもイイものです。普段、家でPerfumeアウェ―状態だから、堂々と大きな画面で観れる事も嬉しいのです。「The Bitter」、「横アリ」、(「GAME」は忘れて?なかった)を、徹夜状態で観賞~コール~フリコピとコンサートの余韻が続いていました。

コンサート前後に、ファン同士で集まって語って、とっても素敵なイベントになりました。

2010年11月 3日 (水)

Perfume In TOKYOドーム 祝!

ドーム
ドーム
東京ドームのコンサート開催日が来ました。

ファンになってからの思いは色々で、キリが無いので、ココまでで。

ほぼ1年前に、たまたま、ラクーアへ食事に行ってみたら、人混み・激込みの人波嵐だったのです。ちょうど、ポルノグラフティのドーム・コンサート開催でした。レストラン街の通路までファンが座りこんで移動もままならず、こちらは子供が小さいので担ぎあげての移動となり、大変だった思いです。

そして、ドームには野球観戦や仕事イベントでは行っていたけど、コンサート自体はエイベックスレイブ93’参戦以来なのです。

まさか、自分がドームのミュージシャン・コンサートに行くなんて想像もして無かったので、ココまで行き着いた勢いは・・・・?。

1人でコンサートに行くのは寂しいけど、その寂しさを紛らわす意味でもオフ会参加はアラフォーの自分を癒してくれます。ドーム会場に入ってしまえば席順もあるので、1人参戦でもOKかなと。

ドーム告知後、一緒に行く友人を誘う為にチケットはこちら持ちでもと歓誘、ことごとく断られ続けてました。雄一、親友(DJ師匠)が、PerfumeのCD&DVDを借りて聴いてくれる様になった事が変わりました。(その友人は当日が仕事でNG)

先月、試しに声を掛けた、妹の旦那(30後半)・・・・Perfumeを知らなかった~唖然~で終了です。普段、洋楽もJ-POPも聴かない様で・・・・。

そんなこんなで、ドーム当日です。

2010年11月 2日 (火)

「Perfume thispenguin fans party」の続き

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「Perfume thispenguin fans party」 歓迎会で、参加していたアメリカ人Perfumeファンからプレゼント土産のTシャツを頂いてしまいました。

Tシャツ色違い2枚も、さらにデザイン作成されたもの・オリジナルで、感謝感激です。

写メは掲載しませんが、2次会はカラオケに行って振りコピ&歌&掛け声練習を英語翻訳にて実践です。個人的に、カラオケ画面でPerfumeを観れたのは初めてになります。さすがに、友人から会社付き合い諸々でPerfumeが掛かる事は全く無く、PV画面を観れた事も少し嬉しいものです。

2010年11月 1日 (月)

「Perfume thispenguin fans party」 歓迎会

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Perfume大人ファン・オフ会関連にて、「thispenguin fans party」の開催でした。

Perfumeファンなら動画で有名&観た事がある、アメリカ人のPerfumeファンことthispenguin氏を迎えて、その他外国人Perfumeファン他皆さんとドーム近くで乾杯してました。

thispenguinの動画JapanⅢ「マカロニ撮影地巡り」を初めて視聴した時に、Perfumeコンサートの為に来日する凄さと、来日を歓待している日本のファンの方のエスコートなどが、マカロニの曲とともに流れ、画像と曲とファンの交流がマッチして感動してました。

マカロニを聴くとthispenguinを思い出す、これくらいの感じが丁度いい、そんなリピートです。

thispenguin動画:http://www.youtube.com/user/thispenguin#p/u/45/-Yy3bwSGpHg 

マカロニの撮影地巡りは4分後くらいです。

今回は、オフ会・主催者さんがthispenguinと知り合いで、こちらの「thispenguin fans party」が開催されました。

英語の会話では、ほとんど話が出来ない状態でしたが、ドーム開催前にファンの気持ちはひとつ、もうただそれだけで十分です。

thispenguinに会えた事、もうこれだけで充分ですが、悲しい事にほとんど会話が出来ず、自らの英語力の無さを実感しております。

以前はUSA出張~USAディラーとの付き合いもあり、たどたどしくも多少の会話は通じていました。USAからディラーが来ると、成田のお出迎え~ホテル手配~打ち上げ~配送等を行っていたので、英会話に接する抵抗も無く、完璧ではなく程々な感じです。やはり、会話から全く離れて時間がかなり経つと、言葉が出てきません~単語を頭で書きながら思い出す?~とにかく、言葉が出て来ないのです。

「明後日、ドームで!」すら、スムーズに言葉が出て来ず、喋れませんでした・・・・。デイアフタートウモロ―・・・・英単語で浮かんで~喋る、そんな感じのスローペースです。例えば「マドンナ」の発音もダメで、ほぼ通じません。そんな四苦八苦しながら、自分のハンドルネーム「ゼブラ」は「ジィブラ」と発音する事を覚えていたので、コレに関してはOKでした。

写真は、thispenguinに掲載許可を貰っている会話?なので、大丈夫?です。(自分との記念撮影は恥ずかしいので、掲載遠慮)

海外からPerfumeを機会に日本を訪れる事、きっかけは色々でも、自分が映画「スターウォーズ」話からアメリカ人と交流を出来た事があるので、とっても歓迎をしたい気持ちがあります。

海外からPerfumeコンサートの為だけに来る外国人、この意義?を感じるだけでも、ドーム前にテンションUPしています。

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