明治大学平和教育登戸研究所資料館
生田にある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」に日を改めて行って来ました。
今回は前回のついで訪問ではなく、文学部教授兼館長の山田氏による「登戸研究所史跡ツアー」明治大学生田校舎に残る研究所史跡巡りと資料館の解説付きの案内ツアーに参加しました。
旧日本軍・陸軍登戸研究所は、陸軍中野学校、関東軍、情報・特務機関等と関連して、秘密・諜報・謀略戦に関わった研究所です。戦後、その跡地を明治大学が取得して、今日に至ります。
研究所の詳細はHPを参考にして頂ければです。
明治大学平和教育登戸研究所資料館のHP ↓
:http://www.meiji.ac.jp/noborito/index.html
かつて、もう約20年程前に通学していた母校で、この研究所の存在は少々知っていたけど、その当時姿の建物をそのまま使用?していたりしたので、今回の案内ツアーで驚愕の歴史を知る機会になりました。
当時は、学校入口近くにひっそりと佇む神社と鳥居に違和感?を感じたり、各所に在る軍事施設の史跡~研究所に実際使われる木造校舎(明らかに古く、旧式の様態)、立ち入り禁止の区域(髑髏マーク)が存在して、気にはなってました。バイオハザードのマークがまだ一般的?ではなかった20年前です。劇薬物の残留可能性もあるからとの注意喚起がありましたが・・・・教室の窓から見えたりするので、あまり良い気持ちはしなかったです。
5枚目の写メは、弾薬庫の史跡です。風船爆弾などに使用された爆薬の貯蔵庫?でしょうか?現在は史跡管理徹底で柵囲いされ、現状保存されています。私の在籍時には、この弾薬庫のような貯蔵庫がまだまだ他にありました。当時は柵も無く、草茫々に立ち入り禁止の施錠だった記憶です。現在はこの貯蔵庫だけが現存だそうです。写真からも判るコンクリートの厚さが戦時中の防御対策を垣間見れると思います。
4枚目の写メは、現存する木造校舎で、当時の偽札工場でした。「実験室B」の看板は最近まで学生の研究室として使われていた看板になります。今回、初めて?20年振りにこの校舎が偽札工場だったと知りました。何か?不思議な感覚です。
私の頃は、このような木造校舎は他にもありましたが、現在はこの建物以外は取り壊され、この偽札工場建物も解体予定だそうです。
2、3枚目の写メは、当時の消火栓で、星型の陸軍マークが軍事施設の記しを示します。研究所周辺は高台にあった為に給水設備が強化され、消火設備も研究所という形態の為、各所に設置されたようです。
3枚目の写メの消火栓は現在、食堂の入口前に、ポンと置かれて埋まっている状態ですので、知らないと何だ?と邪魔に思う人もいるかと思います。学生は食堂に来る度に戦争の歴史を垣間見ますが、写真状態では?だから知らない人がほとんどと思います。
資料館の内部は撮影禁止の為、残念ながら資料写真は無しです。
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