「SHIZUOKA HOBBY SHOW 2011」を速足で見学、見学中はブースを抜け出しているので手短割愛速攻ペースで見て廻ります。
昨年も展示してあった、ガンダムの1/1サイズの車両フルスクラッチ「サウロぺルタ」と並んで、今回は「ラコタ」も展示されてました。(車両写真は写メを忘れ、デジカメのみで面倒なのでブログに転載してません)
現物車両を作成してしまう、驚きと感嘆、凄いの言葉しかありません。
詳しくは、自作戦車(プラモデルを1/1でつくる):http://tank-jisaku.blog.ocn.ne.jp/
数年前の静岡クリエイトのイベントで、コンバインから自作の米軍装甲車AAVP7を初めて見て感動、NHKの「熱中時間」や「探偵ナイトスクープをはじめ各種メディアに紹介されています。
AAVP7の動画:http://youtu.be/GIxITiDHd2c
現在は、サンライズの承認を得てガンダム関連車両を手掛けるとの事ですが、ガンダム版権はキビシイので車両の走行シーンは動画で観れる事がなかなか難しい?と思います。
AAVP7の展示の時には製作者御本人と溶接や金属加工の技法など直接お話出来ましたけど、さすがに今は有名だし・・・・と思っていたら、ラコタの横でインタビュー(写メの1枚目)を受けられてました。
又、インタビューをされている方も超VIPというか、1980年代のガンダム(ファースト)ブーム、特にバンダイのガンダムプラモデル(通称:ガンプラ)にハマった世代には、元・ストリームベースの川口氏(現在バンダイの川口名人)が懐かしいのではと思います。ストリームベース所属の小田さんの仲間の「(なびげーた主催)」HJの某ライターO氏と交流していた頃、何かのフェスやサークルで手伝いをしていたので「ストリームベース」についても相当の思い入れがあります。
今回も御手伝い頂いている当ゼブラメンバー・Y氏は小田さんとも旧知であり、お互いガンプラ&ストリームベース関係で一部共通話題もあるので、駄話程度に静岡では毎度「ガンプラ、あれからもう30年かぁ~」とシミジミ感慨に耽ります。
「ストリームベース」、そのグループの活動を知っている世代は30代後半~ぐらいと思います。ガンプラ世代には憧れ、羨望のカリスマグループで、ストリームベースの作品に触発(決して真似は出来ないけど、近づきたい思い)されて、ジオラマや改造を行なったものです。
「坊やだからさ」「OOOいきま~す」の台詞に反応する、ファースト・ガンダムにハマった世代なので、現行のガンダム、SEED????で逆に判らなくなってます。
やはりY氏の旧知の方で、私に紹介して頂いた1981年ホビージャパン発行「HOW TO BUILD GUMDAM」の某主要メンバーの方の先日のブログでも、ガンプラ発売前の御本人フルスクラッチ作品「量産型ザク」がログされ、素晴らしさに思わず見入ってしまいました。30年前とはいえ、何もないところからつくる発想の大五味、モノ作りの素晴らしさです。模型を離れた20代以降、ふと昔を思い出す時に何気なく部屋に有った「HOW TO BUILD GUMDAM」を懐かしく読み返してます。
又、80年代初頭のホビージャパンのガンダム作例記事で、グフのドダイ、ガンペリーなどをフルスクラッチされていた方が先述の「HJの某ライターO氏(なびげーた主催)」で、模型イベントでは常に繋がりを探していますが、今回も至らずでした。私がハマる性分ゆえ、O氏を直接訪ねてしまう図々しさ&若気の至りで飛び込んでしまい、今更ながら繋がりの復興(相手は模型を引退されているかも)、出戻りを模索してます。
「月刊ホビージャパン誌」で、こうしたフルスクラッチ作品が誌上で大反響を呼び、いずれ、バンダイのガンダムプラモデルの誕生~ブレイクのきっかけに多いに関与した事が感慨深いです。
当時、私の祖父が、孫がガンプラ欲しさにデパートに早朝から並ぶのでラジオ体操帰りにその行列を見て唖然ビックリ、直ぐに調べてB社株を注文、肩上がりのB社値動きにホクホクの様子で、その時は良く判らなかったけどガンプラを機にB社の業績は良くなったのかと思ってました。(本当の事は経済専門家ではないので不明)
祖父も仕事関係で模型メーカー「ナガノ」、オモチャメーカー「タカトク」、ミニカーメーカー「シンセイ製作所」などの会社経営を知っていたので万代(バンダイの旧名)についても反応が早かったのです。万代=ブリキのオモチャの会社と思っていた様です。ゼブラ明治で扱う、タカトク・シンセイ関係のデッドストック品はこうした時の繋がり(孫へプレゼントにどうぞと頂いた関係)で残ったものでした。多分?頂いたけど当時は興味無かった、なんでポピーじゃなくてタカトクなの!(この気持ちを判る方、いたら嬉しいです)→遊ばずに保管~数十年後にデッドストック価値上昇の経緯です。但し、このあたりの逸品は、ほとんど海外の仲間や業者ホールセラーとのトレードに廻してしまってます。
とにかく、何処にいってもガンプラは売り切れ、一時の社会的ブームになってました。
ガンプラ誕生のいきさつ、ガンプラが企画・製造されていくまでの本当のストーリーを思い起こすと、こうして静岡の「ラコタ」展示に川口名人まで長い間の間接的事情も寄与されているかと独り、感涙です。もし?ガンダム(ガンプラ)がなければ、今の模型業界の発展継続維持に何らかの影響があったのではと思うのは素人考えとはいえ、思い起こします。
又、30数年前のガンプラブーム以降、模型製造の技術も発達研磨されてきたけど、コストや一部技術面で大陸方面に遅れをとられている現状・・・・悲しいけど、どうにもなりません。
といいつつ、模型作りも何年も進んでいない、作りかけ(青島のテラノ、タミヤのPBARなど)も放置、積みプラばかりです。
昨年、甥っ子の為に作った「ケロケロ軍曹」をはじめ、息子の為に食玩のチョコエッグやオ―ズ、ゴ―カイジャーのKIT程度ぐらいです。
モノつくりは嫌いではなく、むしろ好きな方なので、1/1サイズの重機関銃用台座を映画関係の知人に頼まれて鉄材フルスクラッチをしています。なので、「サウロぺルタ」のようなモノ作りの工程にも大変興味がありますが、趣味と仕事の垣根を思うとモノ作りに専念出来る環境が私には寂しいのであります。
静岡に出掛けると触発されて模型もジオラマも作りたくなり、帰宅するのですが、一晩寝て起きるとなかなか・・・・。
3枚目の写メは、「ろうがんず」・石坂浩ニ氏の作品です。やっぱり有名人なので、沢山の人達が写真を撮られていました。
昨年のブログ:2010年5月21日 (金)永遠の慶応ボーイ! 石坂浩二さんと記念写真
そして残念な事に、この時のマセラッティのKITにサインを頂く事をずっと願っていたのですが、なんと、前回の東京の同じイベントにて、非売品扱いで搬入BOXから抜く事を忘れ、朝一で買われて仕舞い(購入時間的に多分、同じ出店側ディラーさんかな?)、大変な後悔がありました。御手伝いの人も判らず、そのまま売って仕舞って・・・・。
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