西郷隆盛、西郷どん
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西郷隆盛、幕末から新政府の維新の豪傑だけど、私は圧倒的な幕臣側のファンなので個人的にはそんなに好きではないが、波乱の生涯、知れば知るほど色々気になる偉人です。
上野公園に有名な銅像~愛犬ツンと一緒の姿→一見?普通のラフな犬散歩姿に見えるが実はウサギ狩りの勇姿です。高村光雲作の明治時代の建立銅像であり、ずっと此の地にそびえ立つ勇士は東京名物・有名な姿です。戦争中は行方不明者捜索のビラやメモが張付けられたり、かつては待ち合わせ場所の定番「上野の西郷さん」でもあったのです。銅像のミニチュアも、聚楽レストラン(滝のあるレストラン)階下の御土産店舗で売られてました。東京タワーのお土産コーナーでも見受けた事がありました。
ちなみに銅像の裏手にはひっそり彰義隊の墓所も存在しています。
20年前は浮浪者の住処、そうでない人の出会い発展場所?等、風記も妖しかったけど最近は整備されています。以前にもログしたけど、銅像前の「馬肉料理・天国」 が閉店したのが残念です。西郷さんにちなんで熊本の馬肉料理店だったのかどうか?、未だ気になります。
西郷さんは逸話も多くて、例えば銅像や肖像画は本人とは似ても似付かない全くの想像画(現存写真が1枚も無い)、薩摩・島津家の下級藩士から大出世とはいえ~攘夷問題、島流し、禁門の変から長州征伐、戊辰戦争、江戸城明け渡し・・・・自決、と、さらに病気で玉がデカクて馬に乗れない?、昔は痩せていた?、大忙しいな生涯です。
寺田屋事件の薩摩藩・坂本龍馬の保護もあったけど、後年の近江屋事件(龍馬暗殺) は新撰組、京都見回り組、更に諸説として、フリーメイソン陰謀説、薩摩藩陰謀説(意見の対立から?西郷の示唆で?)まであって以前謎のまま・・・・。
歴史的な話も長くなるのでSTOP。
そして、在道時代にススキノで良く見た、西郷さんのモノマネさんを思い出します。もう15年以上前だけど、ススキノには雪が降ろうが、零下だろうが街頭に立ってパフォーマンスをする大道芸人(多分?無許可)が沢山いました。
ロビンソン前の定位置で夜、顔を白塗りしたパントマイマーの「オルカ」・・・・TVで半生ドキュメンタリーを放映したけど、実は弱視障害者で無宿人だった。カンパをすると動くけど、絡まれたりイタズラされたり大変そうでした。ススキノの「オルカ」・・・・。
参考ブログ:ホームレス支援で人間社会の度量が試される http://makanangin.at.webry.info/200812/article_20.html
来月、北海道に行くので、再び会えれば!なんです。(現在も活動中のようです)
そして、デカイボードに歌詞を張付け、マイク片手に謡う、「ススキノの西郷どん」・・・・顔も体型もそっくりっさん。冬は軍人っぽくPコートを着用して、頭に雪が積もっても謡い続ける、おてもやんメイクの健気な姿が懐かしいです。一瞬?はだかの大将的な面持ち?でもあったけど、蝦夷の開拓地で熱唱する現代の西郷どんの姿は幕末歴史ファン的にはグッとくる気持ちです。
ススキノの「オルカ」も「西郷どん」も知っている方がいれば嬉しいけど、そうそうはいないでしょう。
熊本では熊本城と田原坂に絞っての来訪予定です。西南戦争は映画ファン的には「ラストサムライ」のモデルにもなったとも言われ、新政府樹立に大貢献しながらも最期は新政府に反旗を翻す西郷隆盛の生涯に影響を受けたとも言われています。
西南戦争は士族の反乱、最後の国内内戦、近代武器(刀から鉄砲へ)への移行など、武士の魂「刀」=「武士道」の終焉のニュアンスもあるので、「ラストサムライ」とはなかなか上手い表現です。
西郷隆盛の生き様=武士道・・・・とまでの表現は難いし、映画では忍者?も出てきたりと色々だが、欧米人には「日本刀」「武士道」「忍者」はもしかしたら魅力的なジャパニーズモノなのかもしれないです。
本当のところでの「ラストサムライ」が誰人物に該当するのか、考えると悩みそうです。
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