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愛の井口昇劇場
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「わび しゃび」
愛すればこその葛藤
愛があるから葛藤する
1988年、井口監督がまだ19歳の学生時代に8mm撮影された幻の作品、女の子の作品を沢山撮られてこられた井口監督さんの原点の作品?って俺的には認識している。
後輩だった女の子に恋心を抱き、卒業後に母校の文化祭へ出向き、その女の子への元を再び訪れる(突撃)ドキュメンタリー・・・・若き井口昇監督が池田屋突入御用改めのごとく、颯爽と、でも何処かに当然ながら一抹の不安をも感じさせ、観賞側としては「ホントウに大丈夫なのか?」そんな不安も過りながらドキドキワクワク感が青春時代の危うい感触を呼び覚ます。
冷静になれば、相手の女の子への迷惑・・・当然、女の子は驚くが・・・・、実は迷惑にならないようにされている青年の気持ちや行動(ネタバレ懸念)が何も飾っていない純粋な青年の想いが見事に描かれ、いや、それ以上に井口昇青年の一途な思いが凌駕し、ラストに向けて壮大な”催し”が・・・・ソレが又切なさの津波のように覆い被さる感情が己のココロにズンと突き刺さってきた。
真っすぐだった。
とにかく、切ない。
女の子って、女の子の存在って、あの頃は自分にもとても尊い存在だった。
あの頃、とてもじゃないがストレートに告白出来るほどの度胸も器量も何も全然無かった自分が居て
そんな想い?を己自身にも呼び覚ます覚醒的な?作品だった。
十代頃80’自主映画全盛期、ぴあを片手に文芸坐や板橋の劇場(何処だったか忘れ)をウロウロしていた頃に出会った村上春樹原作「パン屋襲撃」を観た時のような衝撃に襲われた。
1982年「パン屋襲撃」~諏訪太郎氏出演(「ライヴ」にも出演されていた)を思い出す。
深夜に覚える猛烈な空腹飢餓感が、憧れの女の子への恋心に妙にオーバーラップしてしまって・・・・
プロレタリアートな若き青年、ドンキホーテでも池田屋新撰組突入でも、とにかく立ちはだかる強大な資本主義の壁へに一矢報いる行動(単なる俺的思い入れ)
好きな女の子を撮る演出の映像美、ちょっとストレートに、でも好きな女の子だけに不器用ながらにも観賞側に伝わって沁みてくる”愛”の切なさ・・・・
(なんとなく2010年ショートフィルムの「パン屋再襲撃」も何とかして観賞はしたいが・・・・)
井口監督ファンになってからDVDで初めて観賞した「わびしゃび」
当時、「わび しゃび」を観たくて購入した「愛の井口昇劇場」オムニバスDVDだったのでした。
女の子を撮られ続けている井口監督作品を無性に観賞したくなる枯渇感に襲われる。
EX:
こちらの作品への俺的思い入れ もうひとつの理由
井口監督が8mmで撮られた映像の某教室
自分が受験生時代に2年近く?毎週毎週さんざん通っていた模擬テスト会場の教室だった。テストの合い間に買う自販機の飲み物が楽しみだった思い出、テストで毎週毎週順番付けられる”ある種の戦いの場”。
断片的ながら教室の机、講師の教壇、映像学校故のモニター位置、デカイ黒板など、自分の過去の原風景も蘇ってくる。そりゃ懐かしいってもんじゃない、もう記憶の断片でしか覚えていない事が8mm映像から俺的にも徐々に徐々に蘇ってくるからである。
模擬テスト以外にもハム無線の講座教室でも懐かしい。
校舎の隣にあった教会、チョッと大人になってから、それもチョッと想い入れの懐かしさも蘇る。
8mm映像~給水塔のある屋上から俯瞰する光景~JR鉄道線路の交差や特徴あるループ橋、鳩の居た公園なども確認出来る馴染の場所が映像から判る。
青春感の倍増が加速してしまう・・・・
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